【レポート】 バーチャル原宿を“リアルに”考える

VRの世界は“リアリティ”を獲得できるか?

バーチャル原宿(バーチャル渋谷含む)」の記事では、しつこくこのテーマについて書いているような気がする。とはいえ、DOMMUNEの宇川直宏氏が昨年12月の「多層都市『幕張市』年末特番スペシャル!」の中で言っていたメタヴァースの課題は、現段階では解決されていないのだ。以下、同氏の言葉を引用する。

(都市開発による)“快適便利さ”以外の変革が、都市にはあるべきだと思うの。何か人間以外の生命がその都市に変革をもたらす構造が。“快適便利”がジェントリフィケーションをごまかすための記号になっちゃいけない。それがコロナ禍の我々が乗り越えていかなきゃいけないレイヤーだと思うわけ。(中略)借り物のゲーミフィケーションばかりじゃダメなんだよ。今のXRはそんなのばかりで、ほとんどが快適便利に終始してしまっているじゃない。VRの中で死ぬ構造がないといけないんだ。そうじゃないと人間って真剣に生きないでしょ。“このゲーム捨ーてた”ができるような都市だったら、そのへんのゲームやっとけって話。

バーチャル渋谷の中核を担う人物がこのような発言をするのは勇気がいるし、大変誠実な態度だと思う。それゆえに彼の指摘はXRの切実なテーマとして、今日も存在している。すなわち、本稿で言う“リアリティ”とは、快適便利の反対を指す。あなたがフェスやライブイベント、クラブに行く人ならば、今一度パンデミック以前の現場を振り返ってほしい。いくつか要素があるうち、その多くが苦労することばかりだったはずだ。この記事では、そのリアリティをバーチャル原宿を通して考えてゆく。

VR空間は、ほぼ疲れない。バーチャル原宿の実装範囲は、ラフォーレ原宿や東急プラザがある神宮前交差点エリアだ。Rebekahから始まり、Nina Kravizがクロージングアクトを終えるまでの3時間半弱、オーディエンスはアバターを介してこの一帯で遊んでいた。実寸大で考えると、最大で10000人程度は収容できるキャパシティではないだろうか。例を挙げるならば、Summer Sonicのソニックステージぐらいの規模だと思う。それほどのスケールのフロアを移動するのだから、実際の我々ならば少なからず疲労が蓄積するだろう。当然ながら、モニターの前の我々とは状況が異なる。“疲労も含めてライブエンターテイメントである”ということは、コロナ禍にある多くの人々が実感するところではないだろうか。

バーチャル原宿, バーチャル原宿 DOMMUNE, DOMMUNE Nina Kraviz

バーチャル原宿, バーチャル原宿 DOMMUNE, DOMMUNE Nina Kraviz

また、VR空間においては移動中の“無駄”もほとんどあり得ない。例えば、フジロックのタイムテーブルを想像してほしい。恐らく、最初から最後まで完全にプラン通りに楽しめる人の方が少ないだろう。天候の影響もあるだろうし、途中に予期せぬ出会いがあったり、フードコートで思いがけず時間を過ごしてしまう場合もあり得る。そのような、ちょっとしたトラブルがVR空間の中では少ない。

そしてそのトラブルは、必ずしもネガティブなものばかりではない。筆者の友人に、FFKTやRainbow Disco Clubなどのフェスで出会い、結婚まで至ったカップルが複数いる。いずれも“無駄”を介して出会った人々だ。筆者の周りだけでなく、これらのケースはネット上にいくつも逸話が転がっている。VRで同じ機能・効能を実装できているか考えると、現在ではなかなか難しいだろう。バーチャル原宿で言えば、MMORPGと同様にテキストベースのコミュニケーションが主であるから、親密な間柄にまで至るケースを現時点では想像しにくい。

とはいえ、習慣の問題である可能性も大いにある。生まれた時からオンライン上のコミュニケーションが選択肢にあった世代は、インターネットのやり取りだけで親しくなれる素養がある。UKのネットレーベル〈PC Music〉などからリリースを重ねるumruは、Mixmagのインタビューで「インターネットを通じて様々な音楽に出会ったし、何なら親友になった人だっているよ」と語っている。その点では、オンラインで他者との関係値を築く方法論は現段階でも発展途上と言えるだろう。

今回のバーチャル原宿でも、前回のバーチャル渋谷でも不思議な現象が起きた。特に明文化されたルールもなく、ユーザーたちがアバターをステージ横に整列させていたのである(上の動画では2:34:55ぐらいから顕著)。もちろん何か機能的に意味のある行動ではないし、まさしく“無駄”である。コミュニケーションの手段としては原始的であり、しかし同時にバーチャル原宿(渋谷)においては革新的であった。なぜなら、その連帯によってテキストを超えた意味性を発生させられるからである。これまでのエンターテイメントは、そういった「革新」の蓄積によって成り立っていることを考えると、アバターの無意味な横並びにも可能性を感じる。

バーチャル原宿, バーチャル原宿 DOMMUNE, DOMMUNE Nina Kraviz

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考えてみると、身体性と(人間以外の生命体も含めた)他者性をいかにして担保してゆくかが、VRにおける二大テーマなのではないだろうか。冒頭に引用した宇川氏の言葉も、この二軸に収斂するように思われる。

またしても行きつく先が『レディ・プレイヤー1』になりそうなので、いつかの機会に本稿と同じ論点で同作品を鑑賞し、レビューしてみたい。

最後に、今回のバーチャル原宿で個人的に最も楽しみにしていたRebekahのプレイについて最大級の賛辞を送りたい。素晴らしいミックスだった。