バズワード化した“メタバース”
企業も行政もこぞって事業拡大を狙う、“メタバース”。…と始めると、この記事にそういった風潮を揶揄する意図が感じられるが、それは本意ではない。筆者が恐れているのはその点に関してではなく、多くの人のメタバースの理解についてである。とりわけ、インターネットに慣れ親しんだ人ほど「はいはい、メタバースってMMORPGでしょ」と認識してしまいがちではないだろうか。大きなところでは、VTuberの大手プロダクション「ホロライブ」が目下メタバースを開発中である。このサイトでも昨年の夏からその状況を注視し続けてきた。そして今年1月13日、同プロダクションに所属するタレント・獅白ぼたんが主導する形で、“ホロライブとメタバースのこれから”が明かされた。
「ウルティマ オンライン」(エレクトロニック・アーツ)や「ファイナルファンタジーXIV」(スクウェア・エニックス)などが比較対象に挙がりながら、MMORPGとの類似点が印象的に指摘されている。繰り返すが、本稿は獅白ぼたんや彼女のリスナーを揶揄する意図は全くない。むしろホロライブ随一の頭脳を誇る彼女ですら「メタバースはMMORPG的である」と考えるのだから、そちらの解釈の方が自然なのかもしれない。この日のチャット欄にも同様の言説が飛び交っていた。
しかし、多くの人がその理解に終始してしまうと文字通り“ゲーム”として収束し、メタバースが本来想定していた領域まで到達しない可能性がある。「そうなってしまえばそれまでのこと」と切り捨ててしまうのは簡単だが、巷ではメタバースは“インターネットに匹敵する大発明”になりうると喧伝されているぐらいだから、斜に構えて見る側に回るよりも便乗した方がそもそも楽しそうだ。
まぁ実際にMMORPGと共通項があるから「MMORPG的だ」と言われているわけで、この記事ではまずそこから整理しよう。
ルールやナラティブ(物語)はあるが、ユーザーは「無目的である」ことも許される
以前弊サイトでも引用したことのある文章として、アメリカのゲームジャーナリストであるCecilia D’Anastasioがテックカルチャー・メディア「WIRED」に寄稿した際の言葉を再度紹介する。
Apex Legendsや「オーバーウォッチ」「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア」などサードプレイスの雰囲気をもつゲームは、単にシューティング機能を寄せ集めたゲームではない。テキストメッセージや位置追跡アプリが登場する前の地元の社交場のように、友人同士が確実にお互いを見つけることができる場所になっているのだ。 – 「『フォートナイト』のようなオンラインゲームは、現代の“サードプレイス”になる」より
これまでの人生で一度でもオンラインゲームをプレイした経験のある人は、この感覚が分かるだろう。つまりMMORPG(またはそれに類するオンラインゲーム)は「ゲームとしての機能だけではなく、ユーザー同士のコミュニティとしての側面を持つ」という指摘である。そしてこの手の批評は、特に新しくはない。実は“メタバース”というフレーズがゲーム業界で使われたのはここ最近の話ではなく、例えば2006年にアメリカで開催された「Austin Game Conference」(AGC)でもメタバースは登場している。日本のゲーム情報サイト「4Gmaer」が、当時のカンファレンスの内容をこう伝えている。
今回のAGCで,「Beyond Games: Considerations in Advance of a Metaverse」(ゲームの次にあるもの ~メタバースの進化を念頭において~)という講義を行ったテキサス大学ダラス校のMonica Evens(モニカ・エヴァンス)教授は,「現世代のSecond Lifeのような仮想世界をメタバースと呼ぶことは,まだできない」としながらも,「MMORPGはその理想に最も近い存在である」と語った。次いで,同校のDean Terry(ディーン・テリー)博士も「次世代MMOGが,必ずしも“ゲーム”という定義に当てはめられる必要はない」と話し,現在同校の最新メディア科で進行中のプロジェクト「UTD Online Worlds Lab」を紹介した。
確かに,Second Lifeでなくとも最近のMMORPGの多くは,ゲームプレイそのものだけでなく,コミュニティレベルでの体験に“プレイヤーにとっての楽しさ”に重点が置かれている。エヴァンス氏によると,アメリカのコミュニティサイト「MySpace.com」の総アカウント数は1億を突破したというので,ゲームというバリアに縛られていては,新境地を開拓できないと開発者達は考え始めているのかもしれない。― [AGC 2006#11]MMORPG界を覆い始めた“メタバース”より
冒頭の動画で引き合いに出されていた「ファイナルファンタジーXIV」のプロデューサー兼ディレクターを務める吉田直樹氏も、日経クロストレンドが実施したインタビューの中でこれらの認識を継承する旨のことを言っている。
僕らが目指すサービスは、巨大な世界をデジタル上につくって、その中で多くの人が過ごすというものです。ゲームの世界、FF14の世界に住んでいるという感覚で毎日ログインをしてくれている人も少なくない。家に帰ったらとりあえずログインをしておき、友達などが何かし始めたら一緒にやるといった、生活の一部になっている姿も見受けられます。― 『FF14』に見るサブスクの本質 吉田直樹氏ロングインタビュー(後編)より
MMORPGとメタバースがどれほど近接しているかは10年以上前から指摘されており、今もなお重要な論点として語られている。「じゃあやっぱり、メタバースはMMORPGってことね」という声が聞こえてきそうだが、ここまで読んで下さっているのだから最後までどうかお付き合いいただきたい。
メタバースがメタバースたらしめるもの
倫理的な問題をひとまず置いとくとして、なんだかんだマーク・ザッカーバーグの提言は重要だ。フェイスブックからメタに社名を変更した同社CEOは、メタバースを「身体化されたインターネット(embodied internet)」とも表現している。これは一体どういうことだろうか? ITジャーナリストの西田宗千佳が、ITmediaに寄稿した記事の中でこう述べている。
次の課題は「メタ性の構築」だ。
今後本物の、実存感のあるメタバースを構築するならば、1企業の手のひらの上でサービスを構築するのではなく、それぞれの企業のサービスが相互に接続し、キャラクターや資産という意味での「アイデンティティー」を移行できる形を目指す必要がある。NFTなどの活用がメタバースとともに語られるのも、ワールドをまたいだ利用が想定できるからだ。― 「メタバース=スノウ・クラッシュ」で本当にいいの? メタバースはコンピュータの歴史そのものだより
まさしく現在のインターネットは、1つの企業が作った1つの個性の世界に依存していない。ザッカーバーグの「メタバースは身体化されたインターネットだ」という言葉は、極めて端的にその本質を言い表している。そしてこの点においては、世界中どのMMORPGを見渡してもクリアできている会社や組織は存在しない。膨大な量のステイクホルダーが生まれ、彼ら彼女らとの利害調整に関しては、気の遠くなるような試行錯誤が必要になるだろう。それはシステム運用についても同様だ。インターネットの普及にどれだけ時間がかかったのかを考えてみれば、メタバースの今後も想像しやすくなるだろう。一朝一夕で実現できるものではない。
とは言え、メタバースのデベロッパーや開発者は同じ認識を持っているようにも感じられる。冒頭で引用した動画でも、カバー株式会社(ホロライブ運営会社)のCEO・YAGOOこと谷郷元昭は「私たちが目指すメタバースはタレント同士、タレントとファンの皆さんの交流の場にできればと思っています」と述べている。これに加えて、カバー社は二次創作や他企業との協業にも積極的だ。つまり、他者が参画できる余地を意図的に残している。その点では、同氏が目指すメタバースのイメージにも、多くの個性に立脚した世界観があるようにも感じられる。
まだまだ抽象的な段階ではあるが、次章は既に始まっているだろう。ゲームのままの認識で終わらせるのはもったいない。